産土神社「岡湊神社」
「岡湊」は「おかのみなと」と読み、「日本書紀」には「崗之水門」として登場する芦屋の大変古い呼称です。実に1800年の歴史を誇り、「古事記」にもその記載があります。御祭神は「日本書紀」に記されている「大倉主命」と「菟夫羅媛命」のほかに、相殿として「天照皇大御神」「神武天皇」「素盞雄命」とが祭られています。
境内にはたくさんの文化財があります。たとえば、一対の石燈籠「式日献燈」は、芦屋が大規模な海運基地であったことを示す貴重な史料です。一対のうちひとつは芦屋の旅行商人(陶器商人)が、もうひとつを「伊万里陶器商人」が寄付しており、ここから堺、江戸へと積み出されていきました。
弐之鳥居にある岡湊神社の扁額(神社の表札みたいなもの)は、北白川内親王の書によるもので、文化財として大変貴重なものです。
神社の縁起書は、江戸時代の儒学者、黒田藩医であった貝原益軒が書いたもので、そのほかにも芦屋の景観の素晴らしさを「岡湊十二景」として古文書に残しています。その景色の素晴らしさは、今もたくさん残っています。更に火野葦平の随筆にも登場しています。また、宮司邸には明治学制と同時に芦屋小学校が創設された記念碑があり、三原文部大臣(当時)の書により昔を伝えています。
祇園山笠
古くから祇園社としても崇敬されてきた岡湊神社は、夏に2基の山笠が博多人形を乗せて芦屋町内を練り歩きます。これは、人形を身代わりとして災厄を追い払うためだと言い伝えられています。この祗園社の年中行事が、7月14・15日(現在は中旬の土・日曜)の「祗園山笠」です。岡湊神社としての例大祭は、別に10月15・16日となっています。御輿の行幸のうしろに、はっぴ姿の氏子が飾り山笠を担いで町をねり歩くもので、境内では舞台や露天の店が出てにぎわいます。このお祭りに先立ち、毎年3月(平成18年からは4月下旬)に「あしや人形感謝祭」が催行され、自分の身代わりとなったお人形や、動物達に感謝の年を抱く伝統行事があります。祗園太鼓は、島原の乱に出陣した黒田藩の軍鼓、陣鐘の勇壮さを伝えています。平成15年には、野間大阪芸術大学助教授によって、明治時代の山笠の写真から天然色で復元された巨大絵馬(畳一畳分)が奉納されました。
あしや人形感謝祭
町民と観光客、自治体関係者が一体となって盛り上げた成功例から、現在も自治体関係者や商工産業関係者から問い合わせが絶えません。
※アニメーション関連のイベントは毎年行われておりません。
千光院大蘇鉄・・・島原の乱ゆかりのソテツ(福岡県天然記念物)
岡湊神社の宮司邸には神仏習合で廃寺となった「千光院跡」があり、庭には樹齢400年を超える幹周り10mの大きな蘇鉄があります。
この大蘇鉄は1637年に「天草四郎時貞」が起こした「島原の乱」の鎮圧の際、福岡藩や直方藩から出陣した将兵が、戦いの記念として原城にあったものを戦勝記念に持ち帰ったものです。度重なる災害にも耐え、今では、わが国の三大蘇鉄のひとつと言われています。
昭和32年には、この蘇鉄の子株が島原の「猛島神社」に贈られ、里帰りを果たしました。